『地球物語』意訳シリーズ7
 
  地層の年代をひもといた人たち
   ウイリアム・スミスとロデリック・マーチソン
 
                                       西 村 寿 雄
 みなさんは,
「三葉虫の化石は古生代(こせいだい)の地層から出てくる」
とか
「恐竜やアンモナイトの化石は中生代)の地  層から出てくる化石だ。」 
 などという話を,聞いたことはありませんか。
 また,どこかでシルル紀とかデボン紀とかいう
聞きなれない名前を聞いたことはありませんか。
 これらの名前は,地層の区分として今も
使われている名前です。
  


 それでは,これらの名前はだれが,どのようにして決めたのでしょうか。今日は,地層の
名前の由来についてのお話です。
 
 今の地質学のもとは,イギリスで生まれました。
 1669年になって,いくつもの地層を調べていたニコラス・ステノ(Nicolaus Steno)さんは
「地層はいくつか違った時代の層が積み重なっていて,上に行くほど新しい地層だ」という
考えを発表していました。
        
 しかしまだ当時は,地層から出てくる化石については,「これは神のお造りになったものだ」
とか「大昔の一度の大洪水で流されたできた生き物の死骸(しがい)だ」という説が有力で,そ
れぞれの化石が,それぞれの時代に生きた生き物の証拠(しょうこ)だという考えにはたどりつい
ていませんでした。
 1700年も終わり頃になって,やっと,〈化石というものはその時代その時代の生き物の証
(あかし)で,当時生きて生き物の姿を残しているのだ〉ということがわかってきました。
 
 そのような時代に,ウイリアム・スミス(William Smith)という測量技師(そくりょうぎし)さんがいました。
スミスさんは測量(そくりょう)が仕事でしたから,あちこちで溝を掘る仕事もしていました。
 そのような仕事を続けているうちに,スミスさんは掘った地層の中から出てくる貝殻(かいがら)に
興味を持ち   
                   
ました。ある場所からは,大きな渦を巻いた貝殻が出てくるかと思うとちがった場所では平た
い貝殻が出てきたりしました。
「ちがった地層から出てくる貝殻は姿や形がちがうな」
「遠く離(はな)れた地層でも,同じ地層では同じ貝殻がでてくるぞ」
「これはおもしろい」
 スミスさんは,あちこちの地層で見つけた貝殻の絵をたんねんに描くことにしました。そうして
いるうちにスミスさんは気がつきました。
「遠くに離れている地層でも,同じ種類の貝殻が発見されたとすると, その二つの地層は同じ時
代にできたものと決めることができる」「そうだ。これがはっきりすると世界中の地層がつながるぞ」
「これは大発見だ」
 スミスさんは大喜びで,さらに各地層から出てくる化石をたんねんに調べました。こうしてスミス
さんは,〈化石によって地層の時代を区別することができる〉という大切な原理を発見したのです。
 また,スミスさんは,地上を歩いていくにつれてつぎつぎと違った地層が出てくることについても
考えました。
「地層は,まるでスライスしたパンをならべたような形になっているのでは」
「もし,そうだとすると,地層ができた順序がわかるぞ」
と考えました。
 図のように地層が重なっているとすると,下(図では左)の地層ほど古い時代にできたことになり
ます。
 このように考えて,スミスさんは地層のできてきた順序をたんねんに調べていきました。
 
 そのころはもう海の中では,広い範囲にわたって同じ生き物が棲()んでいるということがわかっ
ていました。ですから,スミスさんのこの考えは,遠く離れた場所の地層と地層を同じ時代のものと
して結びつけることができる大切な考えであることがわかりました。この考えをもとに,スミスさんは
イギリスやフランスなどでどこにどんな時代の地層が出ているか調べました。
        

そして,イギリス,ドーバー海峡にある真っ白           上の地層
い〈白亜の地層〉,フランスとスイスの国境に    第二紀   白亜紀
ある〈ジュラ山地の地層〉,それにイギリス             ュラ紀
にある〈石炭の地層〉を区別しましした。             石炭紀
 今日では,これらを〈白亜紀〉,〈ジュラ紀〉      第一紀   下の地層
〈石炭紀〉という名前で使われています。             その後,白亜紀の上には,さらに新し
くできた上の地層があること,石炭紀の下には,さらに古い地層があることがわかってきました。また,
〈ジュラ紀〉と〈石炭紀〉との境目は,大きな違いのあることがわかり,〈第1紀層〉〈第2紀層〉と区別し
ました。
 スミスさんの研究を見て,スミスさんのほかにも地層を研究する人が現れました。第3紀層と言わ
れる新しい地層を調べる人も出てきました。
 
 古い地層の謎解きにかかったマーチソン
 
 スミスさんはたくさんの地層を見てきましたが,一つだけ手に負えない地層がありました。石炭紀
より古い時代の地層で, たいていはしわくちゃのゆがんだ地層で化石もほとんど出ない地層ばかり
でした。さすがのスミスさんもこれには手がつけられないでいました。
 その地層に挑戦したのは,若いマーチソン(Roderick Murchison)さんでした。マーチソンさんも地
質の学者ではなく,もとはフランスとの戦いに参加した軍人でした。戦争が終わって何もすることが
なく,たまたまお金持ちでしたので,時々ひまつぶしにロンドンの地質協会というところに出入りして
いました。
 やがて,そこでいろいろな話を聞くうちに地球についての科学に興味を持つようになりました。そし
て,あちこちの地層を見るためにイギリスやフランス各地を旅行し出しました。
 マーチソンさんは,やがてスミスさんのやり残した古い地層の研究に立ち向かいました。小さな小
さな原始時代の動物の化石を求めて野や山を歩き回りました。そして,複雑に傾いた地層をだんだ
んと解()きほぐしていきました。三葉虫やサンゴの化石も見つけ,それらの特徴(とくちょう)を細かく調
べて,〈石炭紀〉より
下の古い地層を三つに区分しました。
 それぞれ,その地層が出た土地の名前やそこに住んでいた部族の名前をつけて,それらの三つの
層を〈デボン紀〉〈シルリア紀〉〈カンブリア紀〉と名づけました。
 デボン紀はウェールス南部の半島部の地名から,シルル紀は古代英国に住んでいた民族の名前
から,カンブリア紀はウェールスの古い国名から,それぞれつけました。
                                 白亜紀   
マーチソンさんは,それから10年ほど      第二紀  ジュラ紀  
してからロシアを旅していて,石炭紀よ          三畳紀   
りも上にまた新しい地層があることを          ペルム紀(二畳紀)
見つけました。                  第一紀  石炭紀
 これを,ウラル山脈の西にある村の名         デボン 
前を取ってベルム紀と名付けました。          シルリア紀         
                                オルドビス紀
                                カンブリア紀
                          太古代  化石のない
 日本では,ペルム紀のことを別の人が            古い地層
考えたDyassicという言葉をを訳して
〈二畳
(じょう)紀〉と呼ぶこともあります。その後,さらにこの上の地層が見つかりドイツにあるこの時代の地層
の特徴
(とくちょう)からTriassicと名づけられたのを日本語に訳して三畳(じょう)紀としました。この地層は,今で
は中生代と呼ばれ,恐竜たちが栄えた時代の地層にあたります。
 その後,〈シルリア紀〉と〈カンブリア紀〉の間にも新しい地層がわかり,〈オルドビス紀〉としてさらに付け加えら
れています。〈オルドビス〉という名もイギリスの古い民族の名前です。
 
 このようにして,地層のできてきた順序がつぎつぎと組み立てられていきました。もちろん,今は何千
万年前とか,何億年前とか地層のできた年代までわかっています。
 
 ダーウィン進化論の確立
 
 その後,これらの研究が元になって,ダーウィン(Charles Darwin)の進化論が確立されたのも注目に
値(あたい)すべきことでしょう。
 なぜなら,ダーウィンは〈生物の種はだんだんと進化(変化)している〉という考えに早くからたどりつい
ていました。しかし,多くの人々に認めてもらうにはまだまだむつかしい時代でした。
 生物の種の変化というものは,長い長い時代をへて,初めて人の目にわかることだからです。また,
〈この世の生物はすべて神がお造りになったもの〉と信じている人たちには,よほどの証拠(しょうこ)がな
いかぎり,〈今の生物は,昔の生き物が変化してできたものだ〉などとは言えません。そこで,ダーウィン
はじっと化石の研究に期待していたのです。
化石の変化こそ, 生物の種の変化の証明なのです。
 地層と化石の研究がほぼまとまった1859年に,ダーウィンは進化論『種(しゅ)の起源(きげん)』を発表し
たのです。化石の研究から,〈生物はより高等なものに変化していく〉という見方が広まったからです。
 いよいよ生物の進化(変化)が広く認められる時代になったのです。  (参考資料あり)         
     
                                        
       
                                      終わり  2004,3,9
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